高千穂 その4 宮崎神宮

宮崎神宮 おでかけ

ダラダラ旅行記、高千穂ツアー2日目(2023年3月11日)

6時起床、6時半朝食。今日もいい天気。

8時半出発

宮崎神宮

御祭神は、神武天皇=神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)。
両親である鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)も祀られている。

…玉依姫というのは、豊玉姫の妹で、豊玉姫が鵜草葺不合命を産んで海に帰ってしまったあとに、乳母としてみことを育てた人だ。で、育てた子と結婚したらしい。海神の娘だからエルフみたいに不老長寿なのか?

神社は、基本、身を清めてからお参りするんだそうだ。
手水舎で手と口をすすぐのは禊の一種だとか。いまどきは、コロナの影響で「口をすすぐ」はやらないことになっていて、手を洗うだけだ。ここのように、自動で水が出ていることが多い。コロナが落ち着いたので柄杓を置いていあるところもでてきた(本来は柄杓を使うんだと思う)。
手水舎の向かいあたりにだいたい祓所(はらえど)がある。ここは神職さんたちがお祓いするところ、らしい。どこの神社にもこんな感じの一角があるが、ここでなにかをしているのを見かけたことはない。一般人には関係ないのかも。

「神武東征」っていう言葉は聞いたことあったが深く考えたことなかった。宮崎から大和へ向かったことだった。へぇへぇへぇ。で、東征先の橿原で即位したのが紀元前660年。今は皇紀2683年。
…そういえば、橿原神宮、近鉄乗りまくりツアーで行ったわー、鴨を見ててお参りしなかったわー。 < 神社オンチ

拝殿の前で、宮司の本部雅裕さんのお話を聞くことができた。以下、メモ(おかしいところがあったとしたら、私の聞き間違いということで、ご容赦)

神日本磐余彦命(かんやまといわれひこのみこと)は15歳で皇太子になった
45歳で東征、日向の美々津から橿原へ、7年かかった
官幣大社は1天皇ひとつが基本だが、神武天皇は橿原神宮と宮崎神宮にお祀りされている
神社は普通ヒノキ。ここは宮崎の杉、地元材が丈夫、明治40年、高木兼寛氏が企画、渋沢栄一が募金会の幹事。高木氏は海軍の医師であり、天皇の侍医でもあった(高木氏はそのほかいろいろ活躍してすごい人だったらしい)
神武天皇から人の世に。神から人へ断絶なく移行
神武天皇の時代、末子相続だった。末っ子が継いだほうが体制が長く続く

なるほど、日本の神と人との関係は、八百万というだけじゃなくて、神代から人代に親子関係そのまま引き継いでいるのかー、一神教の神と人との関係と相当違うなー。
末子相続ってちょっと謎だったが(今は長子相続だよね)、そういえば遊牧民は末子相続だよね。”高千穂”っていうくらいだから農耕民だと思うが、成人したらどんどん独立して、残った子に継がせるっていう風潮だったのだろうか…。説話では、神日本磐余彦命は聡明だったら皇太子になったということになっているけど。

で、お話のあと、社務所のなかにある「神武東征前のお兄さんがたとの会議」の絵を見に行った。社務所の扉の御紋が、なかなかでーんとしていておそれおおい。

このあと自由行動時間で、境内をウロウロした

池に鯉と鴨。定番

神武東征の船の復元。舳先がバイキングシップと違う。日本の船ってこうなの?(後で調べたけど、源平合戦の絵ではすでに舳先が閉じているので、よくわからない)

早目にバスに戻った

10時出発予定、9:57出発

東九州道を北上して西都原へ。
このはな館でトイレ休憩した。
三段登り窯というのがあったのだけれど、何に使うのだろう。今も使っているのだろうか?(ぐぐったら、種子島では黒糖を煮詰めるのにつかっているらしい。ココでは何をしているのか説明がなかった…)

バスで都萬神社へ。そこからはウォーキング。